東大医学部推薦入試の素敵なところと改善してほしいところ

平成28年度からついに東大でも推薦入試が始まる。

つい何日か前に、その出願状況が公表されたとのことで見てみると、医学部医学科には3名程度の枠に対して9名の出願があったようだ。

そこで今更ながら「平成28年度東京大学推薦入試学生募集要項」にざっと目を通してみた。

自分の出身である医学部医学科のところだけではあるけれども、募集要項を読んでみて、素敵なところとぜひ改善してほしいところ、というか根本的に見直してほしいところと両方あったので以下つらつらと。

まずは素敵なところ。
27ページの「学部が求める書類・資料」を見てみると

各学部共通に求める調査書等のほか,上記推薦要件に該当すると判断できる客観的根拠を示す以下の資料のうち,いずれか1つ(複数提出可)の提出を求めます。

(1)日本生物学オリンピック,国際生物学オリンピック,高校生科学技術チャレンジ,Intel International Science and Engineering Fair (Intel ISEF),全国物理コンテスト,国際物理オリンピック,全国高等学校化学グランプリ,国際化学オリンピックなど各種コンテストにおいて顕著な成績を挙げたことを証明する資料

(2)きわめて高い英語の語学力(TOEFL iBT 100 点以上あるいは IELTS 7 点以上に相当する英語力)及び豊富な国際経験を示す資料

って書かれていて、「す、すげぇ。。。。」って思うけれどもまぁでもこういうのが本来あるべき推薦入試の姿かなと思う。

推薦入試というのは、「国際数学オリンピックで金メダル取れるけれども現代文だけはどうしても丸っきり全然出来ない」みたいな、例えばそんな人を普通の入試で落とさないようにするためのものであって、ちょっとしたボランティア経験などで測るようなものではない

大学は「学問を学ぶ」ところなのだから、基本的には学問の業績で判断されるべきだ、と、僕は思っている。これには異を唱える人もたくさんいるだろうけれども。もちろん、もの凄い発明をした、とか、既に社会に対して大きな影響力がある、みたいな、学問の物差しだけでは測れないものももちろん存在するのは確かだ。

一方で、根本的に見直してほしいところなのだけれども、「求める学生像」が

最先端の医学・生命科学研究を担う国際的研究者を育成する

と限定されているのがとても残念

いやもちろん必要なのはわかりますが、「教育方針」も従来の(旧来の)「医学部」に留めておく気満々で、これじゃあ21世紀型の人材が全く育たないのではないかと

というかこれでは今までの入試となんら変わらない人材が出来上がるだけなのでは。推薦入試こそハイブリッド型の人材育てないと意味ないと思うんだけどなぁ。

せっかくの総合大学なんだから、もっと他の学部と連携出来るようにして欲しいし、

機械工作メチャクチャ大好きでぶっとんだ医療機器作りたいぜ!

とか、

卓越した文才があって、医者が読んでももちろん納得でいまの医療の問題をメチャクチャ面白く提示できる医療小説書きたい!

とか、そういう原石を受け入れてもらえるようになってほしいものです。

僕は学部生時代に情報学環入りたかったけれども医学部の確かCBTか何かの試験と重なっていてそもそも受験できなかったとても残念な思い出があって、細かい点ですがそのあたりからもうちょっと整備されて欲しいなぁ、と(既に整備されているのかな?)。

自分の学部の人を自分の学部の中だけに留めようとするのはもはや時代遅れです。いや、ほとんどの人はそれで良いのですが、ハイブリッド型になり得る人間を潰さないようなそんな大学になってほしいなぁ、と。

だいぶ偉そうなことを言ってしまった。


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自分がやったことは本当に「可視化」だったのかわからなくなってきた。

SIGGRAPH ASIA関連週間も終わって明日からはいつも通りの生活に戻るので、その前に最近思ったことを書き留めておこう。

タイトルの通りで、UT-Heartのシミュレーション結果のデータを「可視化」した3DCG映像で、Los AngelesのSIGGRAPHでBEST VISUALIZATION OR SIMULATIONという賞を受賞することが出来たのだけれども、僕がやったことは本当に「可視化」と言って良いのだろうか、と。

そもそも僕はアカデミックの世界での「可視化」の定義すらわかっていない。

先月、お茶の水女子大学の伊藤貴之先生に声をかけて頂いて、女子大生相手に「理学総論」という科目の講義をさせて頂いたのだけれども、講義後に伊藤先生から「うちの研究室では瀬尾さんがUT-Heartでされたような物理空間の可視化もあるけれども、情報空間の可視化もかなりやっていいて」と伺って、そこで初めて「おぉ、そうか!確かにもともと実体として存在するものを可視化するのと、数値上でしか存在しないものを可視化するのと2つあるのか!」と理解出来たくらいに「可視化」について本当にわかっていない。

ちなみに講義のあとで伊藤先生が研究室紹介をして下さり、学生さん何人かがわざわざスライドを用意して下さって彼女たちの研究内容を発表してくれたのだけれども、本当に全く適切なアドバイスもコメントも出来なくて、それはとても申し訳なかったと思っている。なるほどこういうことが「可視化」研究なのか、と、あの場で初めて実感した、というのが正直なところ。

確かに、「可視化」と言われて思い浮かぶものといえば、Bubble ChartだったりChord Diagramだったり、そっち系のもののほうが何となく可視化研究っぽい。D3.jsっぽいやつ、とか言うとわかりやすいだろうか。

多次元の情報をどうやったら人間にとってわかりやすい形で表現できますか、という問いはわかりやすいし適度に抽象的でもあって、それを研究するのはとても大学向きだ。

今回のSIGGRAPH ASIAでSymposium On Visualization In High Performance Computingの基調講演をされたカリフォルニア大学のKwan-Liu Ma先生の研究ページを見てみても、どちらかというと情報空間の可視化のほうが多い気がする。

ちなみにこのKwan-Liu Ma先生、SIGGRAPH ASIAで僕の講演も聞きに来て下さって、講演後に僕のところに来て少し話をして下さったのだけれども、全く存じ上げずに本当にごめんなさい。ちなみに可視化研究では世界的な研究者の先生とのことです。

さて、と、なると、僕がUT-Heartのデータを「可視化」しました、といっているのは何なのだろうか、というのが最近の疑問。

伊藤先生の言葉を借りれば「物理空間の可視化」に含まれるのかもしれないけれども、いやちょっと待て、と。

11/6, 7に開催された第21回ビジュアリゼーションカンファレンスで僕は2日目に講演させて頂いたのだけれども、参加者の方が求めていたことと僕が話した内容とが噛み合っていないような気がとてもした。

僕は1日目、11/6のほうは急遽神戸ITフェスティバルに浮気してしまってほとんど参加できていないのだけれども、ビジュアリゼーションカンファレンスのほうは情報空間ではなく物理空間の可視化のほうがメインのはずで、でも、ここでの物理空間の可視化というのは、大規模データの効率的な取り扱い方とか、データ運用方法とか、どちらかというとアルゴリズム的なものの研究であって、「見せ方」や「わかりやすさ」に重点を置いたものではないような気がした。

ボリューム画像の表示方法についての発表もあるにはあったのだけれども、寧ろこれが特殊?なような気もした。で、この発表を聞いていて思ったのは、「ん、これが『可視化』に含まれるのであれば、流行りのPBRとかトゥーンレンダリングみたいな、レンダリング系のものも実は『可視化』なのかな?」と。

今まで可視化系の研究会や学会には数回だけだけれども呼んで頂いたことがあって、でも記憶を辿ってみるといわゆるレンダリングアルゴリズム的な発表はボリューム系のものいくつか以外には無かったような…。

となると「物理空間の可視化」の研究って何なのだろうなぁ、と。そもそもこんなこともわからないで自分が「可視化」について語る資格なんてないのかもしれない。

話を戻そう。自分がUT-Heartのシミュレーションデータに対してやったことは何なのか、と。

可視化関係の世界に触れれば触れるほど、実は自分がやったことは全く以て「可視化」ではないような気がしてきてならない。

では何をやったのかというと、ストーリーテリング、つまりデータをわかりやすく見せるための「脚本」を書いたに過ぎないのではないか、と。

「可視化」と「表現」とを混同していたのかもしれない。どの位置で断面を作ったら心臓の内部構造を説明するのにわかりやすいかな、とか、血液の流れは矢印にするだけではなくて、速度に応じた大きさと色を付けたほうが良いかな、とか、それは「表現」方法であって、主成分分析で多次元情報を三次元にして可視化した結果、心臓の動きについて新しくこんなことがわかったよ!みたいなものでは全く無い。

僕は実際のところ、「可視化」なんて1mmもしていないんじゃないかな、と思うようになってきたし、可視化関係の方々の前で発表させて頂くときにいつも感じる違和感の答えはこれなのかもしれない。


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